薄々気付いていたことではあったのですが、ブログで稼ぐのはたぶんもうむりです。
それでも、ブログやめるつもりは(今のところ)ありません。
動画よ今時は
いま副業としてなにが稼げるかとか、旬なコンテンツがなんなのかなどには詳しくなく、あまり関心もないのですが、それでももうブログで月○百万円の不労所得!起業!FIRE!!が実現可能な時代が終わっていることぐらいはわかります。
私も、「ダラダラ好きな文章書いて生活費が稼げたらいいな~!」と夢見たことが、一度や二度ではきかないほどにありました。笑
今時ブログを読む人はよっぽどの文章好きか、ブログでしか供給されていないたぐいの情報を探している人に限られます。そうでない人はみんなYouTubeを見ているし、私もブログやweb記事を読む時間より、YouTubeを見ている時間のほうが圧倒的に増えました。
ブログが稼げなくなったのには、Googleのアルゴリズムが変わったとか、権威性がどうこうとか、広告単価がどうこうなどのいろいろな要因が絡んでいるとは思いますが、やはりユーザーの時間をYouTubeやNetflixが持っていってしまったのが最大の原因なのではないかと思います。
だって横になってスマホを眺めてるだけで時間が無限に溶けていくんですもん……そして推しがかわいいんですもん……。
それでも文章に触れている時間のほうが圧倒的に好き
私はYouTubeも好きですが、文章を読み書きするのも好きです。
最近はブログよりも本を読むのが楽しくなってきたし、以前に比べて読書に割く時間も増えたという変化はあるものの、”他人の文章”を読む総量のようなものは、むしろ年々増えつつあると言えるかもしれません。
また、インプットしたものや日常生活で考えたことなどを自分なりに解釈し、アウトプットしたいという欲求も、以前と変わらずあります。
週5労働の弊害でなかなかまとまった時間がとれないものの、文章を書いているときがいちばん楽しいし、YouTubeで動画を見ている時間の数十倍、充実していると思えます。
文章を書く楽しさはフロー的な楽しさ
この”文章を書く楽しさ”については、最近読んだ本の中でかなり納得感のある解説がされていました。
ポジティブ心理学のなかでも、活動的な幸福を表す「フロー」という概念が強調されている。
フローとは、簡単にいえば、「やりがいのある事柄に挑戦しているときに、その行為に没頭している状態」のことである。
フローは、絵を描いたり、文章を書いたり、写真を撮ったりといった一人きりの創作活動においても起こりうる。フローの鍵となるものは、注意を完全に注ぐ挑戦があること、その挑戦に見合った能力を有していること、そして、課題解決の各段階において、どの程度できているか、すぐにフィードバックが得られること(進歩の原理)である。
フローによる充足は飽きが来ないものであり、フローが訪れるたびに、わたしたちは新鮮な経験を味わうことができる。そして、フローは課題への挑戦とそれの達成を伴うものであるから、フローのたびにわたしたちは前へと進むことができる。このため、フローでは「快楽のトレッドミル」で起こっていたような問題を回避することができるのだ。
(2022年に読んで一番おもしろかった本)
また、「21世紀の道徳」では、フローと対比する「ヘドニズム的幸福」についても言及されています。
ヘドニズム的幸福とは、端的に言えばアイスを食べたり、ゴロゴロ寝ころびながらYouTubeを見たり、性的な快感を追い求めたりといったことで幸福を実現する、という考え方です。
個人的には、このヘドニズム的幸福が間違っているとも感じません。アイスを食べてハッピーになれるのはほぼ全人類に共通することですし、それにかかるコストと得られる幸福度を比較して、それが合理的だと判断できるのであれば、ヘドニズム的幸福もガンガンに追い求めればいいと思います。
対立する概念のように語られがちですが、フロー的な楽しさとヘドニズム的幸福は、並列して実現可能なもののはずです。
そんなことよりも諸悪の根源たるのは長時間労働であり、アイスを食べる時間よりも労働する時間のせいで、フロー的な楽しさを得られる活動が制限される、という側面もあるはずです。
ですが、フロー的な楽しさにはそれでしか得られない達成感や充実感があり、自己表現や自己承認を実現する手段になりうるものであり、だからこそ唯一無二のものなのだと思います。
私にとってはそれが文章を書くことであり、文章を書くために本を読んだり、見識を広めたりすることがあたります。
とはいえあくまでもただのログ
文章を書くのは好きなのですが、それによってお金を稼ぐことは諦めましたし、だれか自分以外の人のために……という意識をそこまで強く持ち合わせているわけでもありません。
特にこのブログの文章は、読んでくれる人のことを考えてわかりやすい構成を組み立てたり、表現を工夫したりといったことは(一応)しているのですが、あくまでも自分の考えをまとめるために書いているものです。もちろん、読む人にとってもなにかメリットがあるものにしたいのはやまやまなのですが、基本的には自己満足によって成り立っています。
したがって、このブログは、主に以下のような要素から構成されています。
- 考えたことのまとめ
- 好きなものを推す作業
- 読んだ本から感銘を受けたことや勉強になったことのまとめ
- 家計管理をはじめとした生活の記録
- 生活改善の一環としてやったことの記録
自分に書けるもの、そして書いていて楽しいものばかり書いていたらこんな状況になっていました。そりゃ稼げないのも頷けます。
趣味のこともっと書きたい
あとこれは完全に余談ですが、今後はTRPGやゲームなどの趣味のことももっと言語化していけたらいいなと思っています。
別ブログを作って趣味のことはそこで……なども考えていたのですが、”好きなものを語る場”として機能させるうえで、そこをあえて切り分ける必要もないのかなと。
低コストな趣味を充実させることで貧乏でも毎日楽しく暮らせる……という、個人的な人生の大テーマを語るうえで、今後はもっと趣味について掘り下げて書いていきたい気持ちがあります。
と言ってもTRPGに関してはおそらくかなり特殊な遊び方をしていて再現性に欠けるところが多いので、本当に自分のためだけに書くものになりそうです。
お金は必要なだけ、労働で稼いだらええんや
文章を書くことで生計を立てることはもはや不可能なものの、当然のことながら、だからといって好きなことややりたいことを諦める必要などありません。
むしろ、採算や読み手のニーズなどまったく考慮しないまま好きなことを書きまくる場所にしていきたい気持ちが強くあります。
好きなことをやるための必要最低限の原資、つまり生活費は労働で稼ぐという方針は変わりませんが、できたら趣味を邪魔しない程度の労働時間にとどめたいなと考えています。
資産のために働くのではなく、生活のために働く
労働で疲弊して、やりたいことをやるための時間が圧迫されたら本末転倒です。
そして、今のところなんだかんだで貯金や投資がうまくいっていて資産が増えつつありますが、そのために働くのもなにかがちがう、と感じています。
繰り返しにはなりますが、労働はあくまでも余暇を含めた生活のためにするものであり、それで余剰なお金ができるとしたら、それは大事な趣味の時間を削って現金化していると認識したほうがよさそうです。
もちろん貯金を増やして未来に使えるお金を残すことはとても夢のあることだと思っていますが、バランスは考えたほうがいいよなとも思います。
要するに週5日労働は働きすぎなのでもっと減らしたい……といういつもの着地点に落ち着くわけです。
noteに移行するなども考えたけど……
文章をマネタイズする方法として、プラットフォームをnoteなどに移行して投げ銭してもらうなどの方法も検討しました。
が、読んでくれた人に直接投げ銭してもらうよりも、アフィリエイト収入やアドセンス広告収入のほうが性にあっているというか、システムとして気に入っている部分があるので、もうしばらくははてなブログのお世話になるつもりです。
ゆるくやるべきは金銭労働のほうだった
今まではブログや読書といった趣味は、仕事が終わって時間を見つけて細々と、ゆる~くやっていくもの、というような認識でいました。
が、そうではなくて、むしろゆるくやっていくのは週5日間、1日8時間というとんでもない時間を費やしている金銭労働のほうで、どちらかというと余暇のほうに全力投球するべきなのだと考えを改めました。
とくに2022年は転職(?)1年目だったこともあり、仕事にかけるリソースが多大になりがちで、どう考えても人生の優先順位が狂っていました。
なので、今後はもっと時間の使い方や労力の振り分け方を見直し、余暇に全力投球できる仕組みづくりに注力していきたいと思っています。
金銭労働にかかるリソースを節約するためには、もっと要領よくやったり、うまいこと他人を頼ったり、スキルを身に付けたりする必要があります。それも人生の最優先事項である趣味のためと思い、そういうことも器用にできるようになりたいものです。