今日はショルダーバッグとスカートとタイツと部屋着とシャツを断捨離して最高にハイ🥳やはり断捨離は麻薬
— アコヲ@Baselog (@baselog_030) 2021年6月23日
最近仕事を辞めたので、着なくなった仕事着などを大量に手放しました。
仕事を辞めて手放したもの
- 通勤用のバッグ
- 通勤用の靴
- オフィスカジュアル的な仕事着
- アイメイク関連の化粧品
このあたりのものを捨ててなんとも言えずいい気分になったので、断捨離の力ってすごいな~~と再確認したりしています。
ものを手放すことは悩みを手放すこと
捨てたいものには、ほとんどの場合は”捨てたい理由”があります。
- 単純に、使っていない
- 使い古してボロになってきた
- 壊れていたり不具合がある
- 色・形・質感・においなどが気に入らない
- 大きすぎて場所をとる
- そのものの役目を果たし終わった
ものを家の中に置いておくだけならタダですが(家賃のことはひとまず置いておいて……)、実は、こういったものを所有することで、われわれは「なんとなくモヤモヤする」というコストを払っています。
無意識のうちにそのもののことを気にかけ、気に病んでいます。
例えるなら、仕事のタスク(やるべきこと)が山積みになっているのに処理することもできず、机の上のスペースを占拠していて、ひたすら「これ、ジャマだなぁ……」とモヤモヤしているようなイメージです。
なので、そのものを手放せば、”モヤモヤ=悩み”も手放すことができ、手放すことで快適さや快感を得ることもできます。
もう使う気にならない、使いたくないものを手放すことで、自由になれる
今回私が捨てた仕事着や靴などは、もう見ているだけで労働のしんどさを思い出してしんどいので、思いきって仕事にかかわるものを全て捨てました。
そもそも、中にはまったく自分の趣味にはあわないものでも、仕事で必要だからという理由で仕方なく所有していたものもたくさんあります。
(事務職につかなければ一生履くことはなかっただろうタイプの靴)
こういったものは仕事がイヤだという悩み・モヤモヤを思い起こさせる(もう仕事は辞めているのでモヤモヤする必要などないにもかかわらず……)ものでしかないので、まだ使えるものだとしても、もう使う気にもなれないものが多かったです。
仕事をしなくてもよくなった以上、そんなものを使わないまま、いつまでも持ち続けていても何の意味もありません。
断捨離の快感はクセになる
断捨離はよく筋トレに例えられますが(「もうこれ以上は無理」と思ったところからが本番、など……)、個人的には、ものを捨てることには麻薬のような、抗いがたい魅力があると思います。
めんどくさいことが消えてなくなる
前述したように、”必要のないもの=モヤモヤする、めんどくさいもの”を手放すことで、そのめんどくささにもう金輪際、悩まなくてもすむ状態を手に入れることができます。
例えが悪いですが、仕事の人間関係でも、扱いづらい上司や仲の悪い同僚が異動でいなくなったりするだけで、職場がまるで天国のように感じられることがあると思います。
ものも同じで、自分にとってしっくりこないものから少しずつ手放していくことで、家の中の”しっくりきてる度”を底上げすることができます。
大抵の”不要なもの”や”めんどくさいもの”は、自分の努力や能力でなんとかなるものではありません。
しかし、(職場の人間関係は簡単に断ち切ることはできませんが、)自分の所有しているものであれば、自分の判断ひとつで手放し、視界から消えてなくならせることができます。
思い悩んでいる時間のほうがよっぽどもったいないので、少しでも「これはもう、今の自分には必要のないものなのかもしれない」と思ったものは、一度手放してみることをおすすめします。
手軽に快感を得られる
いよいよヤバいお薬のようですが、そのような”めんどくささ”を放棄する感覚は、一種の快感・爽快感に近いものがあるように思います。
- 必要だと思い込んでいたものでも、手放してみたら何の支障もなかった
- どうしても手放せなかったものを思いきって捨ててみたら、気分が晴れやかになった
- むしろないほうが管理コストの節約になるし、家の中も広くなって快適だった
こういった体験は、何度か経験していくうちに病みつきになり、「もっといらないもの、手放せるものはないか!?」という沼にはまり込んでいくことになります……。
ものを買う行為にはお金が必要不可欠であり、がんばって仕事をしてお金を稼ぐ必要があるのに対し、ものを捨てるのには(多くの場合は)金銭的なコストは必要ありません。
お金をかけずに思い立ったときに実行でき、手軽に快適さや達成感を得られる断捨離は、個人的には、ハマりすぎるとあんまりよくないことになるような気がしてなりません……。笑
部屋が片付くことで家の中が快適になる
私は、家の中が散らかっているとなんとなく落ち着かないムズムズした気持ちになり、なにを差し置いても片付けられずにはいられないタイプの人間です。
世の中には「自分の部屋は散らかっているほうが好き!」という人もいますが、かといってゴミ屋敷のような足の踏み場もない空間に放り込まれて毎日快適に暮らせるかというと、限度があるはずです。
程度の差こそあれ、目の届く範囲にいらないものはひとつもなく、必要なものや好きなものだけで構成された部屋を、快適に感じる人がほとんどではないでしょうか。
所有するものの総量が多い、少ないにかかわらず、自分の必要としているものが過不足なく、難なく手に取れるかたちで収納されている状態は、おそらく多くの人が理想としているところだと思います。
身の回りのものを”支配できている”実感
”支配する”などというと聞こえは悪いですが、自分の持ち物を自分で認識して、活用できているかんじというのは、実際に体験してみるとなかなかクセになるものがあります。
万能感と言い換えてもいいかもしれません。
わかりやすい例がバックパッカーで、あれはなにが楽しいのかというと、生きていくうえで必要なほとんどすべてのものがリュックひとつにまとまっている身軽さが楽しいのだと思います(少なくとも私はそうです)
生きていくうえで本当に必要なものはそう多くないということを実体験することで、肩の荷が下りたような、解放されたような気持ちになることができます。
古代ギリシャの思想家ディオゲネスは、子供が素手で水をすくって飲んでいるのを見て、たったひとつの持ち物だったお椀を捨てたといいます。
われわれもその境地にまでたどり着ければ、きっととんでもない全能感で満たされるはずです。断捨離のいきつくところディオゲネス。
断捨離沼は一度ハマったら抜け出せなくなるし、弊害もある
断捨離には抗いがたい魅力がある一方で、思わぬ落とし穴やデメリットがあることも確かです。
私が実感している断捨離の最大の弊害は、調子に乗ってあれもこれもと手放していくなかでついつい調子に乗ってやりすぎてしまうというところにあります。
具体的に私が体験したのは、
- アウター類を捨てすぎて、フォーマルな場に着ていけるような防寒着がなくなって凍えた
- 普段着も捨てすぎて、リアルに「おでかけに着ていく服が1枚もない……」となった
- 下着や靴下といった消耗品の数を絞りすぎて、洗濯の頻度を増やさざるを得なくなった
- 客用布団などは真っ先に断捨離の対象になったため、急に我が家に泊まりにきた大学の後輩(女の子)を寝袋で寝かせる羽目になった
……などなど。どちらかというと、洋服関係のしくじりが多いです。
とはいえ、どの失敗も、それで死ぬほど恥をかいたとか痛い目にあったというわけでもないので、「まあ、やりすぎはよくないよね~~HAHAHA」……ぐらいの反省度合いではあります。笑
断捨離は、用法用量を適切に見極めながら行うことをおすすめします。