かれこれ数ヶ月間、自宅に引きこもる生活を続けています。
最近は比較的、家事もちゃんとやっているほう(当社比)ですが、家事をする以外の時間はだいたい、
- YouTubeを見ているか、
- ゲームをしているか
……の2択です。
日によっては誇張抜きで本当に一日中YouTube見てます。
”ダラダラすることに罪悪感を抱く”のは時間のムダ
こんな自堕落きわまりない人間に言われてもなんの説得力もないかもしれません、が、私も働いていた頃は、休みの日にダラダラしていたらあっという間に一日が終わってしまい、「せっかくの休みをムダにしてしまった……」と思ったことは、一度や二度ではありません。
なんなら日曜の夕方頃になると、毎週のように、
- 「もっと有意義な時間の使い方ができたのではないか……」
- 「やりたいと思っていたあれもこれも、なにひとつできなかった……」
- 「せめて部屋の掃除くらいやれよ……」
と、後悔ばかりしていました。
しかし、無職になって時間がありあまるようになると、
「またなにもできなかった、休みをムダにしてしまった」
……と、謎の罪悪感や後悔を感じていることこそが、時間のムダだったなぁと思います。
「一日中スマホを見て休みが終わる」のは、自分あるいはスマホのせいなのか
もっともありがちなのは、
「今日はベッドでスマホを見ていたら一日が終わってしまった……」
というパターン。私も身に覚えがありすぎます。
まる一日どこへも行かず、家事もろくにせず、ベッドの上以外はトイレぐらいしか移動してない……となると、
- 「ああ、またやってしまった……」
- 「自分はなんてダメなんだ……」
- 「ちくしょー!こんなもの(スマホ)があるからいけないんだ!泣」
となりがちです。
スマホは悪者ではない
しかし、そもそもスマホや、スマホでできることになんの興味も関心もないとしたら、そのようなこと(スマホを触っていたら一日が終わるようなこと)は起きません。
ひとたびスマホを覗けば、web上のありとあらゆる読み物系サイトから動画系サイト、あるいはSNSなどに一瞬でアクセスできます。
スマホは我々の興味や関心をかきたてたり、満たしてくれるものであり、そのこと自体はなんら悪いものではないはずです。
現代人はダラダラしたい
私は、自分の興味・関心のある物事にアクセスして調べものをしたり、文章や映像に触れたりするのは、きわめて文化的だし前向きな行為であると思っています。
ではなぜ、そんな時間を「ムダな時間だ」と感じたり、罪悪感を抱いてしまうのでしょうか。
ひとつには、現代人はそもそも疲れすぎているので、体や頭を全く動かさなくても興味・関心を満たしてくれるスマホに手が伸びがち、という点があげられます。
平日5日間×8時間も10時間も、仕事や、仕事にまつわる雑事に時間を拘束され体力も精神力も注ぎ込んでいては、「休みの日くらい何も考えずにYouTubeやまとめサイトを見ていたいよ……」となるのは、当然のことです。
つまり、順序が逆で、スマホによって生産性が奪われているのではなく、労働による疲労で体力や気力をうばわれ、生産的なことができなくなり、スマホを眺めながら受動的な楽しみを得ることしかできなくなっているのです。
真の悪者はスマホではなく、労働者がクタクタのズタボロになるまで労働をさせている経営者や、社会構造のほうなのではないでしょうか。
さらに言えば、それは今日や昨日にはじまったことではありません。
ほんの15年前の我々は、スマホやネットフリックスやTwitterのかわりに、テレビで地上波放送を見ていました。
手段が入れ替わっただけで、構造としてはなにも変わっていないのです。
バートランド・ラッセルは、ケインズが経済危機の効用を論じてから二年後に発表した論文の中で、いつもながらの明快さで次のように書いている。
「(中略)かつて人は愉快に遊ぶ能力を備えていた。だが効率神話によって、そうした能力は制限されている……都会に住む人々の楽しみは、受け身の楽しみが中心になった。映画を観る、サッカーを観戦する、ラジオを聞く、といった具合に。これは、活動的なエネルギーを労働にすっかり吸い取られた結果だと言える。自分の楽しみに使える時間をもっと持つことができるなら、人間は再び自ら進んで何かをする喜びを味わうことができるだろう」
休んでいる間にすら罪悪感を植え付けられている
- 「スマホなんて時間の無駄」
- 「脳が破壊される」
- 「意思力(?)が◯%低下する」
- 「生産性がない」
そういう人たちは、そういうことで我々に何をさせたいのかというと、たぶん消費をさせたいんですよね。
スマホでYouTubeやTwitterを見るのにお金はかかりません。みんながみんなYouTubeに入り浸ってお金を使わないと、経済が回りません。
経済を回すことを最優先事項としている人たちは、労働者に外出してもらってショッピングをしてほしいし、観光もしてほしいし、外食をしてもらわなければ困る立場にいます。
労働者が「家で推しのライブ配信を見ているだけで毎日しあわせ!生きててよかった!」なんてことをのたまいつつ最低限しかお金を稼がず、最低限の消費しかしなくなると、(Google以外の)経営者は困るのです。
だから、スマホが脳を壊す!!というキャッチーなフレーズを流行らせて、労働者の焦燥をかきたてて消費を喚起している……のではないかと邪推しています。
ダラダラやゴロゴロは生存戦略
家の中で日がな一日、スマホを眺めてつつグ〜タラする時間は、そのような消費第一主義への、わずかばかりの反抗にもなります。笑
そもそも、毎日ちゃんと会社に出勤して働いている時点で充分すぎるほど偉いし、ちゃんとしてます。
それだけちゃんとしていれば、休みの日にちょっとくらいダラダラしてしまうのなんてもはや誤差、毎日ちゃんと生活するための微調整みたいなものです。
私は現時点(2021年8月)で無職ですが、フルタイム週5日労働していた頃は休みの2日間のうち1.5日はダラダラしていました。
残りの0.5日は月曜からの仕事が嫌すぎて七転八倒していました。
そうは言ってもせっかくの休みだからなにか生産的なこともしたい、なにもしてない自分が許せない……という気持ちもわかるし、罪悪感を覚えるのもやめようと思ってやめられるものではありません。
が、休みの日になにか生産的なことができなくても、一日中ダラダラしてしまったとしても、それは毎日ちゃんと仕事をするため、未来の生活のために必要不可欠な戦略の一部なのではないかと思うのです。
「今日は一日中家の中に引きこもって、なにもしなかった」は、立派すぎる節約行為
ダラダラすることには、労働によって奪われた体力・気力を回復させること以外にも大きなメリットがあります。
それは「お金が節約できる」ということです。
一日中家の中にいれば、(ネットショッピングに没頭してしまうケースを除けば、)支出をほぼゼロに抑えることができます。
かかる必要経費といえば、自炊のための食材費とか、空調のための電気代とか、ネットフリックスの月額費用くらいのものです。
外出をしてカフェやレストランで食事をして、映画館に行って、ショッピングモールで購買欲をかきたてられてついつい服を買ってしまうのと比べれば、一日分の生活費は雲泥の差です。
お金がかからず頭も使わない娯楽を心から楽しめたら、罪悪感は薄まる
疲れているとき、なにもやる気が起きないときは、インプット系の娯楽に専念するのが◎です。
まかり間違っても「ブログ書かなきゃ……」とか「今日のぶんの筋トレしなきゃ……」なんて思ってはいけません。笑
- YouTube
- 映画
- ドラマ
- アニメ
- 漫画
- ゲーム
- 音楽鑑賞
こういった受動的な趣味でも、心から楽しんだり感動したり、思いっきり笑ったり泣いたりできるなら、それはすばらしい時間の使い方をしています。
そもそも、なにかをアウトプットしようとするにはインプットが不可欠です。
これらのコンテンツを消費することで、「自分もなにか生み出してみたい」という意欲がわいてくることもあります。
生産的な趣味がほしいと思ったら、まずは寝転びながらでもダラダラしながらでも、自分の好きなものや心が動かされるものをできるだけたくさんインプットするのが、なによりの出発点になるはずです。
疲れているときの外出は、無理せず行ける範囲や馴染みのお店へ
「そうは言っても、一日中家にいるとやっぱり病む……」という人は、週に1〜2回くらい、無理せず足を運べるお気に入りのスポットを見つけるといいと思います。
私のお気に入りスポットは、スーパー銭湯と喫茶店です。
スーパー銭湯に入って汗を流し、食堂でごはんを食べて、帰りがけに喫茶店に立ち寄りコーヒーを飲んでも、かかるコストはせいぜい2,000円程度。
毎週のように通いつめてもひと月10,000円もかからず、身も心もリフレッシュできていい気分転換になります。
他にも、
- 公園
- 図書館
- ブックカフェ
- パン屋さん
- カルディのような食料品店
このあたりはぼんやり散歩をしたり本を読んだり、おいしいものを買ったりすることができ、素敵な余暇が過ごせるのでお気に入りです。
休みたいだけ休めば、勝手にやりたいことをやりはじめる
そもそも、時間さえ許すのならいくらダラダラしようと誰にも迷惑をかけることもないし、休みたいだけ休んだ後はなにか生産的なこととか、めいっぱい体を動かすようなこともしたい!と思えるようになるはずです。
問題は、フルタイムで働いている限り、そうするための時間が満足に確保できないことにあります。
一週間のうちのほとんどを労働に費やしていると、休みの時間は”正しく休むこと”のみに充てられてしまい、自分の趣味ややりたいことに専念する時間をとることができなくなってしまいます。
やるべきは、時間の使い方を再構築すること
本当の問題は、ちょっとダラダラしていたら自分の好きなこともできなくなるほど、時間的な余裕がないことのほうにあります。
だとしたら、自分の好きなことをやるためには、時間の使い方を見直して余裕をつくりだす必要があります。
「だからみんな今すぐ仕事を辞めて無職になりましょう!!!」などというつもりはありません。が、それでも、生活にかかるコストを引き下げ、労働に費やす時間をできるだけ少なく抑えることができれば、必ずしも週5日フルタイムで働く必要はなくなります。
たとえば、ドラム式洗濯乾燥機やロボット掃除機を買って家事時間を時短するとか、会社の近くに引越して通勤時間を減らすとか、そういったことはもちろん必要なことだし、時間を生み出すために有効な手段です。
が、”週5日フルタイム労働を辞める”と、そのような数々のテクニックでは到底追いつかないほどの莫大な余暇時間を生みだすことができます。
時間がたくさんあれば、ダラダラゴロゴロするのにもいずれ飽きてしまって、「自分の好きなことや得意なことに時間を使いたい!」と、勝手に思うようにもなります。
まとめ
とはいえ、繰り返しにはなりますが、現状フルタイム労働している人が土日にグ~タラするのはただの最適解ですので、そこに罪悪感を抱く必要はありません。
また、週5日だろうが6日だろうがバリバリ仕事をして、たくさんお金を稼ぐことを優先するのか、あるいは余暇時間を最大化することを優先するのかの価値観は、人それぞれです。
ですが、休日を終えるたびに「貴重な休みになにもできなかった……」と嘆くことばかりに時間を費やすのは、あまりにもったいないことです。
なので、休みの日にダラダラしてしまうことに悩んでいる人の場合は、いちど自分の働き方について再考したり、そんなにたくさん働かなくてもQOLを維持できる程度まで生活コストを最適化しておくのがよいのではないかと思います。