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家計と生活改善と読書のログ。

最近、日記本を読むのが楽しい

 

最近、日記本を読むのが楽しいです。日記本ってどういうの??というと、こういうのとか↓です。

あとはこちらのZINEなど↓もとてもおすすめです。

tsukihi.stores.jp

もともと人のブログやテキストサイトを隅々まで読むのが好きだった時期があったのですが、いまはブログを書いている人がめっきり少なくなってしまい、あの「他人の人生を読んでいる」感じに出会える機会が減ってしまいました。昔ブログを書いていたよ〜という人は、いまはだいたいnoteに流れている印象がありますね。

しかし、日記本はnoteよりも”昔のブログ”を読んでいるのと近い感覚で読むことができ、独特の手応えみたいなものがあるなと感じています。

 

 

noteと日記本の違い

日記本の何が良いのかというと、「個性的である」という点があります。

たとえばnoteの記事だと、プラットフォームとしての読み心地の統一感が強すぎ、個々の文章の質感が薄れがちです。誰が書いた文章であっても、あの白い背景、ゴシックもしくは明朝体のフォント、横幅、行間、フォーマットに収束されてしまいます。

もちろんその統一感がnoteの良さのひとつでもあるとは思うのですが、個人的には、書き手の癖や文章の速度感のようなものが、フォーマットの中に押し込められているような感覚があります。そのせいか、読んだあとに内容があまり残らないことすらあります。あれだけ膨大な情報があるのに、読むそばから「読んだ」という感触が消えていく、noteでしかできない不思議な体験です。

その点で、書籍という体裁になっている日記はまったく逆で、書き手の個性が濃縮されて一冊にまとめられています。その本特有の装丁や段組みなどの構成に、著者の文章の特徴や温度感、著者本人の目線や思考の癖などが詰まっているような感覚があります。

それが「刺さる人には刺さるし、合わない人にはまったく合わない」という個性の塊になっている。その不均質さが心地よいです。

 

個体差こそが面白い

人は視覚的にも、ある程度の個体差がないと読みにくさを感じるのかもしれません。noteのように参加者全員が同じフォーマットで、同じ幅の文章を流し読んでいると、書いている人の影が薄まってしまいます。

どれだけの文字数を書いてページを増やしたところで、”その人が積み上げてきた感”や”蓄積していっている感”が薄く、読み手にとってはひとまとまりの個人像が捉えにくいのです。そのツルツルしたとっかかりのなさが、逆に疲れることすらあります。これは内容がどうこうという以前の問題で、書籍という物質を介してアクセスするというだけで不思議と集中できるし、読みながら「ブログを読み漁っていた頃の感覚に近いな」と思ったりします。

ちなみに私は、同じような理由で、フォーマットが統一されているKindleなどの電子書籍も苦手だったりします。これは電子だから、紙だからというわけではなく、認知的なひっかかりがなさすぎて”読み進めている感”が薄いのが原因ではないかな〜と推察しています。

 

生成AIが役に立たない領域とは、日記である

とっかかりやひっかかりがない文章、ということで言えば、昨今では生成AIの書いた文章の右に出るものはいないのではないでしょうか。

AIはインターネット上に溢れる言葉を組み合わせて即興で並べているだけなので、どうしても世の中にありふれたフレーズがループしながら増えていくばかりになります。もちろんそれはそれで便利ではあるのですが、誰が書いたわけでもない、誰の実体験にも知見にも紐づかない文章というもの特有の気持ち悪さ、しょうもなさみたいなものがあると感じます。

だからこそ、おもしろさや整合性などなくても、たとえ勘違いでもいいので、「これは自分で考えたことだ」とか、「自分が体験したことを文字に起こしたものだ」と思える言葉が書き残されることに意味があるのではないかと思っています。これからAIが作った文章がますます増えていくほど、人が書いた文章の希少性が高まっていくのではないか。そんなことを最近よく考えています。

 

日記は人の役に立たないものである

話は変わりますが、私は最近は、「自分の文章を人に読ませたい」という気持ちが昔ほど湧いてこなくなりました。どうにかして文章で食べていきたい!!と夢見ていた頃もあったけど、今はもう「文章で収益を得る」という感覚そのものが縁遠く感じられることが多いです。

文章で稼いでいる人がよく言う、「読む人になにかしらのバリューを与えられない文章は存在意義がない」という考えも、もちろん理解はできます。ただ、それを聞いて「じゃあ私の好きな、日記のような文章はどうなるんだろう」とよく考えます。

日記は誰かに価値を供給するためではなく、ただその人の日常や考え事が淡々と記されているだけの文章ですが、私はそういう文章を読むのが好きだし、実際に癒されてもいます。価値を押しつけられていないただの独白だからこそ、唐突に”ブッ刺さる”瞬間もあります。

存在意義があるとか、誰かの役に立つとか、そういう世間一般の価値基準を離れたところにある、とるに足らなさや、どうでもよさ。そのどうでもよさの中に、書き手の生活や思考がそのまま表現されていて、読み手としてはそこに勝手に共感したり、勝手に安心したり、勝手に励まされたりするのではないでしょうか。

 

みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに

いずれ自分も日記本を作ってZINEみたいなかたちにして、文学フリマに出るぞ!!と思いつつ、気づけば数年ぐらい経っているような気がしています。日記はいちおう(ここまでさんざん腐してしまった)noteで書き溜めてはいるのですが、それをまとめて一冊の本にするより、中身を延々書いているほうが楽しいという、不都合な真実に気づいてしまったのです……。

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なので、私は当分、日記本に関しては読む専を貫くことになりそうです。このまま無職期間を延々続けられて自由な時間が延々続くとしたら、自分のZINEを作ることも不可能ではないかもしれませんが、その時間があったら読書のほうにも充てたいな〜となるような気もします。夢は夢のままで終わるのか、果たして……。