年収800万円を超えると幸福度の上昇が頭打ちする、というのは、一般的に「限界効用の逓減」の一例として知られる話かと思われます。
しかし、私は現在年収0円の無職ですが、これ以上幸福度が上がることはないだろうなというくらいの、充分すぎるハッピーライフを送っています。
現在の私の生活にかかるお金は年間80万円足らずですので、つまり私の場合、年収80万円を超えても幸福度は上がらないということになります(暴論)
一般に言われる”800万円”という金額のたった1/10の金額で幸福度の頂点に達する、ハイパーコスパ人類と言えます(極論)
「お金が欲しくない」と言ってもあまり理解されない
生活支出を可能な限り切り詰めることで、非正規雇用でも月々何万円というお金を貯めることができるようになりました。
そうしてお金が余るようになると、「よくよく考えれば、お金って喉から手が出るほど欲しいものじゃないなぁ」と感じるようになりました。
なに言ってるんだ!!おまえだってちょっと前は「年間90万円貯金できました〜!!(下記事参照)」などとはしゃいでいたじゃないか!!と言われると、まあそれはそうなんですけど……とはなります。笑
お金は、一生懸命働くことである程度の額を稼ぐことができるし、使おうと思えば使えるし、貯めようと思えば貯めることができる。当たり前ですが、いわゆる”バケツの穴をふさぐ方法”さえ身についていれば、いくらでもコントロール可能なものです。
そして、お金を銀行口座や証券口座にどれだけ貯め込んだとしても、それだけで一足飛びに幸せになれるものでもありません。
ありふれた表現かもしれませんが、お金は人生の目的ではなくて、ただの手段でしかないからです。
家を建てるという目的があるにもかからず、その道具でしかないのこぎりを手にいれたからといって飛び上がって喜ぶ人はいません(手段を揃えていく過程もそれはそれで楽しい、という側面はありますが)
働かないでグータラする生活が目的
(「世の中に寝る程楽は無きものを 知らぬうつけが起きて働く」)
基本的には、お金を稼ぐことはストレスと結びついています。
イヤでイヤで仕方がない業務や人間関係も、お金を貰っているとそれだけで格段に断りにくくなります。
仕事をしていないとありとあらゆるストレスから解放されますが、そんなストレスフリーライフが許されるのは、自分以外の誰からもお金を貰っていないからだとも言えます。
私が「お金はあんまり欲しくないな」と思うのは、お金よりも、そういったストレスとは無縁でいられる環境だとか、目覚ましに叩き起こされずに気が済むまで寝ていられる環境の方が尊い、と感じるからだと思います。
お金はひとつの手段だが、手段はひとつではない
そうは言っても、生きていくためにはお金が必要です。と、いうのは、個人的には半分くらいは誤りだと思います。
正確には、生きていくためには”衣食住”が必要です。
- 服
- 食べ物
- 住処
これらを手にするためにお金が必要なのは間違いないのです。が、こと現代日本においてはこの”衣食住”に求められるレベルがとても高く、必要以上の量やクオリティのものを、必要以上のコストをかけて購入することが良いことだとされています。
特に、住宅費や服飾費などはその傾向が顕著です。生活に必要以上のコストをかけるために、必要以上に稼がなければいけなくなって、結果として必要以上にお金を有難がってしまうという謎ループに陥っているのではないかと思います。
必要なものを、必要以上のお金をかけずに入手する方法
しかし、生活していくうえで最低限必要なものは、工夫次第で極めて低コストに入手できるようになっています。
- 食べ物を自給自足する
- 田舎に土地を買い、家をセルフビルドする
- 欲しいものは物々交換するか、貰う(メルカリ・ジモティーなど)
- 移動は徒歩か自転車を使う
- 自家用車などがどうしても必要な場合は、買わずにシェアする
もちろんこういったことを全部実践しようと思うと今度は時間が足らなくなるというデメリットもあります。
それでも、「お金がないと生きていけない」「働けなくなったら死ぬしかない」などと思い込み、ストレスフルな労働に身をやつすよりも、
「いざとなったら田舎に小屋を建てて、半農半Xで生きていこう」
という”出口”がひとつあると、気持ちがずいぶん楽になって、必要以上にお金に執着する必要がないことに気付けるのではないかと思います。
お金を稼いで使うのは遠回り
たとえばマイホームがほしい!と思ったとき、頭金を貯めて、35年ローンを組んで、新築一戸建てを買うのが一般的かもしれません。
ですが、新築一軒家や都会の一等地でなくてもいいなら、家は0円で買えます。
もちろん、固定資産税や修繕費などなどで、住宅費を完全に0円にすることは不可能です。が、「どんな家でもいい」なら、下記のサイトなどを利用することで、ほとんどお金を介さずすぐにでもマイホームをGETすること自体は可能です。
しかし、◯千万円の35年ローンを組んで新築を……となると、まずその頭金を用意するだけでも何年という年月を要します。
「毎日安心して暮らせる住処がほしい」という欲求に対して、「とにかくお金をたくさん用意する」という手段がいちばんの近道というと、そうでもない。
なんなら、すごく回りくどくて途方もなく時間がかかる、悪手であるようにも感じられないでしょうか。
欲しいものの金銭的価値を下げていく生存戦略
たとえば、私がいま欲しいものは、
- 限りなく0円に近いマイホーム
- 自給自足できるマイ畑
- グータラダラダラする時間
- 目覚ましに起こされない生活
- YouTubeやNetflixなどの娯楽
- 本やゲーム
- 生産的な趣味とそのスキル
- たまに原付でツーリングして温泉に入るだけのお金と時間
- 健康な体と精神
……などです。
現時点で、これらの欲しいものの「マイホーム」と「畑」以外のものは既に手に入っています。それでも、月の生活費は5〜6万円台に収まっています。
更には、マイホームやマイ畑が手に入れば、生活費をもっと下げることも可能です。
せいぜい毎月5万円程度の収入があれば、ほぼ100%にちかい生活満足度を得られるということがわかっているので、それ以上のお金が欲しいとも思いません。
お金は大事じゃない(極論)
単にお金が欲しい(現金や、預金口座や証券口座に印字される金額を増やしたい)だけなら、貯金そのものを目的化することで、お金は増えていきます。
生活支出を最小限に抑えれば、血のにじむような努力をして働かなくても、派遣社員やアルバイトでも、貯金(お金)を増やしていくことは可能です。
それはそれである種ゲーム感覚で楽しめるものだし、自分の人生においていくらかの意義もあったとは思います。
が、それでもやはり、
- お金はお金以外のものとの交換手段に過ぎないし、
- お金よりももっと大事なものはたくさんあるし、
- その”大事なもの”は、お金がなければ手に入らないとは限らない
……と感じています。
これをものすごく極端に言い換えると、「お金は大事じゃないし、欲しくもない」ということになります。
実際は、そこまで極端にお金を排して生活していくことはできないし、貰えるものなら貰っておけばいいし、貯め込めるものならたくさん貯め込んでおくと、”将来に対する得体のしれない不安のようなもの”に怯えずに済むようになります。
しかし逆に言えば、「お金にできるのはせいぜいその程度のことである」ぐらいに考えておくことで、必要以上のお金を求めてストレスを溜めたり、おかしな営みに手を染めることなく生きていくことができるのではないか、と思っています。