4月の生活費まとめです。
2023年4月の生活費 … 65,600円
- 収入(派遣事務給与・副業)
188,600円 - 固定費(家賃&光熱費)※
19,600円 - 通信費(楽天モバイル)
3,300円 - 食費※
26,900円 - 外食費
5,200円 - レジャー費
1,100円 - 雑費(日用品・雑貨など)
2,200円 - 趣味費(書籍・YouTubeプレミアム代)
4,500円 - 服飾費(化粧品(日焼け止め)・UVカットグッズ)
2,100円 - 交通費
700円
※家賃・光熱費・食費などは同居人と折半した金額です。
なにこのグラフ
仕事忙しすぎにより買い物や旅行をする気力も体力もなく、無職だった頃と同じ水準まで生活費が下がりました。
そのかわりと言ってはなんですが4月は平日・休日ともに一体なにをしていたのか一切の記憶がありません。休みの日はふつうに1日12時間くらい寝ていました。
結果、生活費の割合を示す円グラフがなんかきもちわるいことになりました。ほぼ3/4が貯金で、それ以外のほとんどが家賃・光熱費・通信費・食費という”THE・必要経費”が占めています。この人間、なんというか生きてるの楽しくなさそうです。
2023年4月の貯金(投資)額 … 123,000円
貯金も12万円を超えました。
よく見たら例年この時期は同じぐらいの貯金額になっています。2022年は同じく繁忙期により、2021年は無職でしたがコロナウィルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の発令により引きこもっていたのが要因です。
貯金額が300万円を超えました
そして、トータルの貯金額がひっそりと300万円を超えました。
といってもこの金額は”家計簿をつけはじめた時点からの累計貯金額”を示しており、それ以前に貯めたお金や資産運用で増えたぶんは一切考慮していないため、実際の資産額というのは実はもうちょっとあります。
手取り15-6万円の派遣社員で無職期間も約10ヶ月ほどはさんでいるにしては頑張っているほうなのでは……と思いつつ、4月の虚無っぷりを振り返るとマジでお金なんていらないからもっと自由な時間が欲しいという気持ちが日に日に強くなっています。
まじで仕事しかしてない
繁忙期突入により読書、ブログ、家事、節約、旅行、ありとあらゆるモチベが消失し、休みはずっと寝ていて、推しを吸ってかろうじて生きながらえているという生活がほぼ丸々1ヶ月続きました。
ブログに書くこともなにもないし、起きている間もボーっとしていて横になってYouTubeかTwitterを見るぐらいしかできないし、寝ても寝ても永久に眠いし、しまいには「このままなにもせず年とって死ぬのか……」という、恒例の思考の悪癖が顔をのぞかせる始末。職場でも家でも常に仕事のことを考えていて、スイッチがOFFにならないような感じがずっとしていました。
【推しの子】おもれ~
記憶にある直近の出来事では、U-NEXTが1ヶ月無料だったので【推しの子】のアニメを2話まで見ました。おもしろかったです。
ストーリーがそもそもおもしろいというのはおそらくもう散々語り尽くされているとは思うのですが、「推し」という存在から得られるパワーとそのパワーが自他に与える影響(良いことにせよ、悪いことにせよ)というものについては、規模感こそ違うものの個人的に強く実感しているところだったので、タイムリーに刺さるものが見られたなというのが率直な感想です。
推しは救い
いままで私は「〇〇(推している対象)は宗教」「〇〇は信仰」という表現を面白半分に使うことがあったのですが、なんだか最近はそれが冗談のレベルを超えてきている気がしています。仕事が辛いときも人間関係に悩んでいるときも、推しのこと考えてると心が軽くなって救われる感じは、信徒が崇拝対象に救われるのと同じ構造をもっているのではないかという気づきを得ました。
「推しが好き」という感情が持っている原動力は、一般的にはあまりにも軽く見積もられている気がします。そんなものがなくても毎日精力的に働けて、家族とも仲良くできて、友達と遊ぶほうが楽しいと感じる人もたくさんいるために、これまでは家族や仲間との絆は一般的に”尊いもの”として尊重されてきたし、されなければならないという社会通念があるのも事実です。
ですが、そこにどうしても価値を見出せない人間も一定数いて、
- 「人間関係や仕事が心の支えや活力になったり、あるいは反社会的行為などに対するストッパーになる人」と、
- 「逆にストレッサーになって、自分の属しているコミュニティの外側に救いを求めざるを得ない人」
……と、世の中には少なくとも二種類の人間が存在しているはずです。
そして、後者のような人間にとって”しっかり救われる実感”を助長してくれて、当人の信仰を強化するのは、家族や友人や仕事といった現実的な存在ではなく、アイドルだったり、同じイメージを共有している精神的な繋がりをもった存在であるというのも構造として避けようがないものであるとも感じます。
そして私はどう考えても自分は後者側だという自覚があり、アイドルに投げ銭をするのも、新興宗教に大金をお布施してしまう人がいるのも、どうせなら自分を救ってくれる存在にお金を払いたいものだよな〜と考えると行動原理としてはなんら矛盾していないし、気持ちとしてわからんでもないところもあります。あるいは、そのような行き場をもたない”救われたい気持ち”がまかり間違ってしまえば他人を害してしまうこともあり得るわけで、それすらも明日は我が身だなぁ〜と思えてしまいます。
ずっと何の話?
もはや【推しの子】はなにも関係がないし疲れているのに字数を稼ごうとするあまり取り止めのないことばかりを書いてしまうので労働は規制したほうがいいです(結論)