Baselog -生活と家計の改善のログ-

週休5日を夢見る派遣社員。

2024年3月の読書ログ「歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術」「暇と退屈の倫理学」「多様性の科学」

3月に読んだ本のまとめです。

 

 

「歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術」

エッセイのような旅行記のような小説のような、不思議な読み心地の本。実際のところは小説に近いもののよう(※巻末解説より)ですが、私は近頃めっきり日記本にハマっているので、日記本のカテゴライズで読みました。

 

「お前が幸福なのは、歩いているからだ」の謎の説得力

二股に分かれたその地下道を今日の私は右に進んだが、後に私はそのことに感謝するのだろう。なぜなら、左右に分かれた地下道の右の道をもう少し歩き続け、フォールム映画館のすぐ目の前を通り過ぎ、ストーレルンゲゴール湾に続く丘を行き、アスファルトの上で魚が息絶える橋の上で、太陽の光が交通標識に差すと、私は予期せぬ幸福感に見舞われたからだ。「お前は幸福だ。今、ここで。理由もなく。この瞬間、お前は理由もなく幸福という恵みを受けている」と告げられたかのようだった。

(中略)

そして徐々に分かってきた。お前が幸福なのは、歩いているからだと。

著者のいう、「歩くことで人生が好転した」というような体験は自分にも身に覚えがあります。私の場合は、自転車に乗るようになっていろいろなことを前向きに考えられるようになったり、運動不足とは無縁でいられるようになりました。

最近読んだ「運動の神話」によれば、歩いたり自転車に乗ったりといった運動をすることでドーパミンやセロトニン、エンドルフィンといった脳内物質が分泌されて、それが幸福感に繋がっているというのはすでに証明されたことのようです。ですが”歩くことで幸福になった”という一文からは、そのような理屈の外にあり、そしてややスピリチュアルにも感じられる、著者の幸福論を感じ取ることができます。この本が提示している「どうして歩くと幸福になれるのか」という大きな問いに対して、「そういう脳内物質が分泌されるからだ」と解説するような行為は、野暮と言って差し支えないでしょう。

しかし同時に、「どうして歩くのか」という問いに、著者はこの本の中では明確な回答のようなものを提示していません。ただひたすらに歩いて、旅をしている男の様子が描写されるだけで、そこに”健康のため”とか”見聞を広めるため”といった、わかりやすい理由づけはされません。それがすごく心地よくて、読者まで多幸感に包まれるような気すらしてきます。

私は階段を下り、昼食を食べる。卵に、白パン、ほんの少しのチーズ、オレンジ・ジュースにコーヒー。朝食部屋に私一人。配膳する人も訪ねる人もいない。私は一人でいるのが好きだ。この人気のない部屋は、私が今の自分を決定づけるような選択をした理由を思い出させる。空っぽの家、空っぽのリビング、空っぽの部屋。だから私は書くことができるのだ。

こういうちょっとした一文が絶妙にオシャレでありながら、「こういう瞬間あるよな〜」という嬉しい気持ちにさせられます。

そういえば海外の小説やエッセイに感じるある種の読みにくさが感じられなかったので、これはいわゆる”翻訳がいい”ということなのでしょう。私のような海外作家の本を敬遠しがちな人にもおすすめです。

 

「暇と退屈の倫理学」

めちゃめちゃおもしろポピュラー哲学本として有名(?)な「暇倫」をやっと読み終えることができました。

 

パスカルの「暇と退屈論」に見覚えがあって草

退屈と気晴らしについて考察するパスカルの出発点にあるのは次の考えだ。

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

パスカルはこう考えているのだ。生きるために十分な食い扶持をもっている人なら、それで満足していればいい。でもおろかなる人間は、それに満足して部屋でゆっくりしていることができない。だからわざわざ社交に出かけてストレスをため、賭け事に興じてカネを失う。

なぜわざわざそんなことをするのかと言えば、部屋でじっとしていられないからである。

部屋でじっとしていられないとはつまり、部屋に一人でいるとやることがなくてそわそわするということ、それにガマンがならないということ、つまり、退屈するということだ。たったそれだけのことが、パスカルによれば人間のすべての不幸の源泉なのだ。

このパスカルのいう「人間の不幸の源泉は”退屈”である」という説については、ミニマリストにかぶれていた頃に読んでいた本によく引用されていたのが印象に残っています。ミニマリスト的な文脈では、「だから人間はムダづかいをするし、いらないものを買いまくって家の中に溜め込みまくるし、必要以上に働いてお金を稼ぐことから逃れられなくなってしまうのだ!」という問題意識の根拠として用いられがちでした。

そういったミニマリスト的な主張が若干落ち着いた感のある現在でも、人々のムダづかいが根絶されたわけではないし、部屋の中に閉じこもってじっとしていられるようになったわけでもありません。よく考えれば、人間がひとところにじっとして、ただ時間が流れていくのを待つようなことが生理上できるわけもないので、パスカルのいう”不幸”から免れることはそもそも不可能であるとも言えます。

古代においてはただじっとしていたら飢えて死ぬか、”働かざる者食うべからず”で仲間内から排斥されただろうし、現代においては暇と退屈に耐えかねて居てもたってもいられなくなるのも無理からぬ話という気がします。

 

消費には際限がないし、余暇は自己表現に費やされる

いくら消費を続けても満足はもたらされないが、消費には限界がないから、それは延々と繰り返される。延々と繰り返されるのに、満足がもたらされないから、消費は次第に過激に、過剰になっていく。しかも過剰になればなるほど、満足の欠如が強く感じられるようになる。

これこそが、二〇世紀に登場した消費社会を特徴づける状態に他ならない。

ガルブレイズは仕事に生き甲斐を見出す階級の誕生を歓迎した。しかし、それは消費の論理を労働にもち込んでいるにすぎない。彼らが労働するのは、「生き甲斐」という観念を消費するためなのだ。

だから余暇はもはや活動が停止する時間ではない。それは非生産的活動を消費する時間である。余暇はいまや、「俺は好きなことをしているんだぞ」と全力で周囲にアピールしなければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇という時間なのだ。

浪費と消費に関する論は、この本の前半の重要な要素だと感じます。

現代人は単に美味しく食事をするためとか、あるいは飢えないためとか、単に雨風を避けたり身体を守るためといった、必要最低限の衣食住にはもう満足できないようにシステム化されているとも言えます。他人よりも充実した仕事や余暇によって自己実現することこそが生き甲斐であり、自己実現のためには他の誰よりも多く、かつ効率的に働くことが必要不可欠です。

お金を稼ぐこと、そしてお金を使うこと(もしくは貯蓄をすること)は、すべての人間に課せられた最重要課題であると言えます。それはお金持ちだろうが貧乏人だろうが、どんなジェンダーや気質を有していようが関係ありません。終わりのある浪費ではなく、終わりのない消費が目的とされるのは、そのようなシステムにおいてはそのほうが都合が良いからでしょう。それ以外の人生は想定されていないし、そこに違和感を抱いて”そうではない人生”を生きようとすることは、すなわちドロップアウトとみなされます。つらすぎる。

「暇倫」はここではとても書ききれないぐらいの語りしろがあるので、今後もちょくちょく引用させていただきたいななどと考えています。あと暇倫好きな人は「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」も絶対好きだと思うのでおすすめです。

 

「多様性の科学」

多様性の科学

多様性の科学

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多様性を欠いた社会はうまくいかないよというワンテーマをいろいろな事例を用いて解説していくポピュラー社会学本(?)タイトルに”科学”と掲げられているのは「それでいいのか?」感が多少あります。原題は「Rebel Ideas」。

 

おもしろうんちく満載本として読む

内容は9.11のテロの話から始まり飛行機墜落事故、雪山遭難事故など、人命に関わる重い事例が多く扱われていて、弱っているときに読むとちょっと「うっ……」となります。が、読み味を軽くするためか随所に”ちょっとおもしろいうんちく”みたいなものが散りばめられていて、そういったtipsをつまみ食いするだけでも楽しめる一冊になっているなと感じました。

  • 日本人、アメリカ人に水中の様子を描いたアニメーションを見せ、各被験者に何が見えたかと質問したところ、アメリカ人は魚について語り、日本人は背景について語った(「川のような流れがあって、水は緑で……ああ、そう言えば魚が3匹、左のほうへ泳いでいきました」)
    • アメリカは個人社会の傾向が強く、日本はより相互依存的である
  • エニグマ(チューリングが解析したナチスの暗号)の解析チームには多様性確保のためにクロスワードパズルの愛好家(職業は会計事務所の事務員)も招集された
    • トールキンも呼ばれていたが訓練過程で大学に残ることになった
  • 航空機のコックピットを平均値にあわせて設計したら事故が多発した
    • 10ヶ所の測定部位ですべてが許容範囲に収まったパイロットはゼロだった
  • Internet explorerやSafariを使っていた従業員はChromeやFirefoxを使っていた従業員より離職率が高くて生産性が低かった
    • 理由は初期搭載されたブラウザを疑いもなく使う心理傾向にある(本当に????)

紹介されている実験結果のいくつかは「それちゃんと再現性確保されてますか!?」と聞きたくなるようなものもあるものの、深く考えずに読んでいると「へ〜〜」となれ、知的好奇心が刺激される心地よさがあります。ただ、この本の全てを鵜呑みにすると痛い目に遭いそうな気もひしひしと感じます!!

より良い社会をつくるためには多様性が必要不可欠、という主張はもはや疑う余地もないほど人口に膾炙した感がありますが、この本は数々の事例をもって主張を補強しています。とはいえ多様性のない社会の居心地の良さみたいなものもあるよね、結局バランスもあるよねというところにもちゃんと言及されていて、ちゃんと信頼できる印象でした。次は「失敗の科学」も読む予定。