Baselog -生活と家計の改善のログ-

週休5日を夢見る派遣社員。

【無職生活】メン強無職になるための、不安との付き合い方

 

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私が(勝手に)人生の師として崇めている大原扁理さんの「隠居生活10年目 不安は9割捨てました」を読みました。

 

 

読んでいて思ったこととしては、そういえば私も不安は9割がた捨てているというか、年齢を重ねるごとに”不安に思うことについて割く時間”のようなものが大幅に減ったと思います。

20代半ばの頃は、将来も不安ならお金のことも仕事のことも人間関係もなにもかも不安、なんなら生活の大部分が不安やストレスを解消するための金銭的&時間的浪費に費やされていたといっても過言ではありません。

20代の頃にも何年も無職生活を経験していたのですが、今のような貯金もなかったこともあり、常になんとなくモヤモヤソワソワしていて、あまり生きた心地がしなかったというのが正直なところだったように思います。

 

ちなみに、30代になり、そう多くはないものの貯金などもできるようになった挙句にメンタルつよつよ無職へと進化した現在では、日々ハッピーに毎日が日曜日状態を謳歌しています。

 

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この記事はそんなメン強無職が、冒頭の大原さんの著書との共通点などを探しつつ、無職ニートでも不安に苛まれることなく、楽しく生活していくためのポイントについてまとめました。

 

 

 

 

残機の管理を徹底することでしか、不安は消えない

 

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貯金を削りながら日々生活している無職にとって最も大事なものは、残機です。

残機の算出方法はとても簡単で、現在の手持ちの貯金(現金)を月々の平均生活費で割ると、”無職でいられる残り月数”が一目瞭然となります。

(※ちなみに私の残機はというと、生活防衛資金を残す余裕をもたすのであれば、残り丸1年ほどがせいぜいといったところです)

 

この残機がいくら残っているか、つまり自分があと何ヶ月無職でいられるのかがわかっていないと、おそらく毎日が不安で不安で仕方がないということになるのだと思います。

現に、家計管理の”か”の字も知らなかった20代の頃は、無職のあいだはなんとなくモヤモヤしっぱなしでした。

せめて、だいたい何ヶ月後には職探しに本腰を入れなければいけないのか、というデッドラインについては最低限、把握しておきたいところです。

 

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生活費をミニマム化することで残機は増えるし、必死で働かなくても生活できるようになる

 

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激安アパート(←28,000円)で暮らしはじめて、あまりお金がかからなくなったので、家賃も含めて自分が生きていくのにいくら必要なのか、1か月間試してみたことがあります。(中略)結果はたったの約6万円。

(中略)

それがわかったときの衝撃よ。お金って、たったこれだけあればよかったんだ!そしたら、自分に必要な労働量も、逆算してだいたいわかります。

こうして順調に仕事も減らし、週休5日という生活に。自分に必要なお金の量がわかっていて、それが手元にあれば、もう無理して働いたり、1円でも切り詰めたりしなくていいんだな、と不安が減っていった。

するとお金を稼ぐということが、「嫌だけど仕方のないこと」から「愛する隠居生活のために必要なこと」へと転換し、建設的な意味を持ちはじめました。

 

※「隠居生活10年目 不安は9割捨てました」から引用

 

生活費は少なければ少ないほど、無職でいられる期間を延ばすことができます。

理由は先述したように、残機の算出方法は”手持ちの貯金÷月々の平均生活費”となるためです。

私の現在の月々の生活は、国民年金や健康保険料などすべて込みで8万円台。

年金など税金関係を除けば5万円台です。

 

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月5万円台まで生活費を抑えられていれば、また働かなければいけない!となったとしても、パートでもアルバイトでも、何をやったところで生きていくことができます。

日当1万円の仕事を、月に10日程度(週2.5日程度)おこなうことができれば、税金を払ったうえで貯金すらできてしまう計算です。

 

もう以前のように必死に働かなくても生きていけるということが数値化されて理解できていれば、漠然とした将来への不安が和らぐのが感じられると思います。

そのような感覚から、私は必要生活費の少なさと、生活していくうえでの安心感は比例関係にあるような気がしています。

この安心感がどうにも手放し難く、もっと生活費を圧縮する手段はないものかと日々模索しているところです。

 

 

”親の理解”を求めない方がいい

 

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経験上、自分以外の他人に不安をぶつけたり、自分の考えをわかってもらおうなどと思うとより不安が増大するのが常だったので、”自分の生き方について、他人に相談する”ということを一切やらなくなりました。

これはご家庭にもよるとは思うのですが、特に親の意見はあまりアテにならないと思うことも多かったです。

親との関係については、「不安は9割捨てました」の中でもページが割かれていました。

 

親が子どもに対して、ただ生存しているだけでなく、できれば「よりよい人生」を生きていってほしい、と願うのは当然でしょう。だから親は子どもに対してあれはしろ、これはするなと口を出す。

ただし、何が「よりよい人生か」というのは、誰しも自分が生きてきた時代や社会の常識で判断しているものです。

現在、私はうまくいかないことがあっても、反発しまくったおかげで親のせいにしなくて済んでいる、ということを本当にありがたく思う。

 

※「隠居生活10年目 不安は9割捨てました」から引用

 

 

大人になったら、自分の生き方について親の理解を得たり、説得する必要はない

 

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たとえば、親に「あんまり働かずに必要最低限の生活費で生きていこうと思うんだ」などと言ったところで、賛同してくれたり応援してくれるようなケースは、極めて稀なのではないでしょうか。

特に、無職かつ実家住まいで毎日のように親と顔を合わせ、子どもがフラフラしてばかりでは、親としても”何も言わないわけにはいかない”といった義務感があるのは仕方のないことです。

ですが私個人としては、親のアドバイスや、まして親の理解などといったものは、生活に必要不可欠なものではない(取り入れたい人だけが、取り入れたい部分だけ取り入れればいい)という考えです。

 

私の親は自分の考えがもっとも正しいと思い込む傾向が強いものでしたから、私はもはや自分の考えを表明しようという気にもなれなくなりました。笑

私は親と”どちらの意見や生き方が正しいかのバトル”をしたいわけではなく、ただ自分の思いつきと試行錯誤で生活を楽しみたいだけです。

なので、親の意見を参考にしようとか、ましてや理解してほしいなどとは思っていません。

それを寂しいとか、”家族なのに”と思う人もいるかもしれませんが、それで疲弊したりよりむやみに不安をあおられたりするのであれば、あえて理解を求める必要はないのではないかな~~、と思うのです。

 

 

無職でいるための資本を、他人に依存しない方がいい

 

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無職でいるための資金は可能な限り自分で働くなりして貯め、家族や配偶者、恋人、友人などをアテにしすぎないほうがベターです。

理由としては、当然のことながら、アテにしていたはずの相手に見放されればその場で生活が破綻するからです。

また、金銭的な援助をしてもらっているという負い目があると、「援助に対するお返しをしなければいけない」という義務感から120%の力で無職を楽しむことはできなくなるでしょう。

 

自分ひとりの力ではどうしても生活が立ち行かないし、貯金なんてできないという場合はそれも致し方ないのかもしれませんが、それでもやはり、「この人に見放されたら路頭に迷うしかない」という不安が根底にあるままでは、精神衛生にあまりいい影響がありません。

極端な話、家族や友人知人に見捨てられたとしても、公的機関を頼ればなんとか生きていくことはできますが、とはいえそれは最終手段としたいというのが大半の人の感覚ではないでしょうか。

 

 

究極まで圧縮された生活コストこそ、無職の強い味方です

 

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”自分の食い扶持は自分で稼ぐ”とか、自分の無職資金は自分で貯めるということができれば、誰に文句を言われる筋合いもありません。胸を張って堂々と無職生活を謳歌することができます。笑

また、先述したように月々の生活費を低く抑えることができており、かつ健康な心身さえあれば、自分ひとりが生きていくだけの資金を稼ぐのはそう難しいことではありません。

無職にとってもっとも心強い味方とは、親兄弟ではなく、究極まで圧縮された生活コストなのです……。

 

 

自分が機嫌よくいることに専念する

 

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私にとっては、週2日だけ働いて、ごく親しい友人とだけ関りを持つ、くらいにしておいたほうが、主観的世界に対して最後まで責任を持つことができた。

主観的世界に対して責任を持つとはどういうことか。

それは、自分の不安を周りにまき散らすことなく、まずは自分で受け止め、どうしたらいいのか考えて自分で解消できること。そして毎日、なるべくきげんよく過ごすこと。自分のきげんをとるのを他人任せにしないことです。

 

※「隠居生活10年目 不安は9割捨てました」から引用

 

安心安全の無職でいるためには、ただお金があるだけでは不十分だと思います。

たとえばまったくの無趣味で、仕事がなかったとしても一日中部屋にこもりっぱなしでひたすら横になっているだけでは、考えなくていいことまで考えてしまって、意味もなく不安にかられてしまうということも多々あるはずです。

お金の不安や健康の不安、人間関係の不安などは、仕事をしていても無職であってもつきまとうものです。

まして無職の場合、ヘタに時間があり余ってしまうせいで、そういった悩みにとらわれがちな側面もあります。

 

 

余計なことを考えずにいられるほど熱中できる趣味をもつ、という無職ライフハック

 

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そうしたモヤモヤにとらわれないためにどうすればいいかというと、やはり趣味を持つとか、自分の好きなことでお金を稼ぐなどの方法が効果的であるように思います。

たとえば、趣味のハンドメイドアクセサリー作りで多少の収入を得る、などは特におすすめです。

趣味に熱中することで日々の余暇を楽しく充実したものにできるうえ、収入を得ることでお金の不安をほんのちょっとでも軽減できる、まさに一石二鳥の方法といえます。

 

そこで、「ハンドメイドアクセサリー作家として独立して起業しなければ!」などと意気込む必要はありません。

あくまでも趣味を心から楽しむことで生活を充実させるのが第一目的です。

収入に関しては、「このまま順調にマネタイズしていければ、もしかしたら専業作家になれちゃうかも~!!」程度に夢を見ているくらいがちょうどいいのではないでしょうか。笑

 

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無職は”「思ってないことを言動に移さない」習慣”が身につく

 

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しばらく社会から離れたあと、たまに戻ってくると、外の世界で自分がいかに「思ってないこと」を言ったりやったりしていたのか、に敏感に気がつくようになりました。

自分の言動に力を蓄えるために、ここからはじめるとよいのでは、という方法があります。

それは、「いいね!」と思ってないのに「いいね!」しないこと。

というのも、このご時世、「ほんとに思ってる?」というような「いいね!」が、あまりに氾濫していると思うからです。

(中略)

でも、「思ってないことを言動に移さない」習慣が身につくと、これにどうしても乗れなくなってくるんです。だから、「いいね!」と思ってないことに「いいね!」しないのは、ことばの形骸化を防ぎ、言動に力を蓄えることにつながる。

 

※「隠居生活10年目 不安は9割捨てました」から引用

 

 

無職は共感も協調もしなくていいので、メンタルが整う

 

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大原さんのいう、この”「思ってないこと」を言ったりやったりする”というのは、もはや社会人にとって必要最低限のスキルといっても過言ではありません。笑

でも、私だけかもしれませんが、それって本当に疲れるし、本当に無意味なことのように感じられるし、自分や他人を楽しく・快適にしている実感がひとつもわきません。

自分の身の回りの不特定多数の人に、思ってもないことを言ったりやったりする、というのは、ただの”まともな人間であるように振舞うためのコスト”でした。

 

いま思えば、私はむしろ在職中の方が、

  • 「自分のやっていることは時間の無駄ではないのだろうか?」
  • 「自分は果たしてこんなことがしたかったのだろうか??」

などと自問してばかりいて、ずっとモヤモヤしていたし、自分の立ち位置がおぼつかない感じが常に不安でした。

 

しかし無職になると、この「思ってもないこと」を言ったりやったりする必要がなくなります。

他人のご機嫌を窺わなくていいし、気を遣わなくていいし、まるでまともな人間であるかのように振舞う必要もないのです。

結果として、自分がなにを大事にしたいのか、自分がなにをしていたら本当に楽しいのかがはっきりと自覚できるようになって、メンタルも上向いたように思います。

自分がやりたいことを実現するために試行錯誤を楽しむとか、いろんな生き方を模索する余裕も出てきました。

 

大原さんのいうように、自分がいいと思うものだけをちゃんと大事にするということは、自分の精神や”主観的世界”を鍛えるのに役立つのだと思います。

社会的なコミュニティの中では周りに流されてしまってなかなか実行できないことでも、無職なら誰に気を遣う必要もなく、存分に自分を鍛えることができます。

そうして鍛えられたつよつよメンタルは、もし仮にまた社会の荒波へと戻らなければいけなくなったとしても、必ず自分の支えになってくれると思います。

 

 

まとめ:無職は楽しんだもの勝ち

 

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「無職」「ニート」などと言葉にしてしまうとダメ人間感に押し負けそうになりますが笑、無職は世間様がイメージするよりももっと気楽で、楽しいものだと思います。

なにせ時間があり余っていてやりたいことを我慢する必要もなければ、睡眠不足で健康を害することも、人間関係に悩むこともありません。

まさに人生の夏休みであり、迷える大人にこそ必要な、大事な期間であると思います。

 

不安にかられたり思い悩むことが時間の無駄とは言いませんが、せっかくの夏休みなのだから、どうせなら楽しみたいではありませんか。

その経験は、必ず自分の大事な思い出になるはずだし、気持ちや考え方を豊かにしてくれるはずです。

 

レッツ無職!!